久しぶりに喜楽家さん夫婦と仕事だった。
お昼休みに寿司屋に入ったので、親方が昔のことを思い出して話してくれた。
親方が子供の頃、近所に同じくチンドン屋の家族が住んでいて、その家の子供は6人。貧乏で、子供に小銭を持たせちゃ、近くの寿司屋にガリだけ買いに行かせる。寿司屋もわかっていて、丼にいっぱいガリを盛ってやる。それをおかずにご飯を食べたそうだ。
パン屋にも開店前に行くと、パンの耳を安く分けてくれるので、それが朝食だったとか。
日本は、戦中戦後誰もが貧しかったけれど、その中でもチンドン屋は相当苦しい生活をしていたようだ。そんな時代を生き抜いてきた親方達は、土性っぽねが違うといつも思う。
演奏に戻ると、親方が「この撞木(しゅもく)はおっかさんの頃から使ってるんだもんなー」としみじみと言う。おっかさんとは、先代の喜楽家のおかみさんのことで、今も90いくつでご存命である。そのおっかさんの頃からというと、30年くらいは使っているらしい。写真左側の撞木は、右側の比較的新しい撞木に比べると、柄(え)の色が濃く、先が細くなっているのがわかる。元は倍ぐらいの幅があったのが、鉦に当たってささくれるので、ヤスリで削ってだんだん細くなっていったのだそうだ。長さも、頭の鹿の角が割れたり、ふっとんだりすると交換のため木の先端を削るので少しずつ短くなると言う。板前の包丁のような話。