問題の薬を処方された精神科にも母と保健婦さんと一緒に行った。待合室で母はひたすらボーっとしていて、だいぶ疲れているようだった。そういえば、前日、銀行に行くために二人で出かけたのだが、銀行に行っただけでもう疲れてしまった。それでも母はどうしてもアイスクリームが食べたいと言い、ようやく小さなパフェを食べさせる店を見つけたのだった。買い物をする元気は残っておらず、家に直行だった。
精神科では、私と保健婦さんだけが診察室に入り、母はひとり待合室で待たされる形になった。無理して連れてこなくても良かったようなものだ。
女医さんは薬が少し合わなかったかもしれないといい、幻覚をもたらした薬はやめて、「眠りの質をよくするために」弱い睡眠薬に変えている、と説明した。そして、「認知症が始まっていたのだろう」と言った。
これは、私にはとても意外だった。薬を飲む前の母は、それなりに物忘れはあるけれど、ぼけているわけではなかった。薬を飲んだことで急激に変化したとしか考えられない。
私は、もともと薬には不信感があるので、何の薬か、どういう副作用があるのかを知らなければ、飲みたくないし、人にも飲ませたくない。精神科からもらった薬の説明書がなかったので、自然な気持ちで「説明書を下さい」というと「みんな、説明書、説明書というけど…(見てなにがわかるの?)」といわんばかりに渋るので、どうも目の前にいる女医さんを信頼できない気がした。医者にしてみれば、あげた薬をきちんと飲んでもらわないことには始まらないのだろうが、やはりその前にインフォーム(説明)とコンセント(合意)は必要ではないだろうか。
家に帰ってから、母がずっとつけていた日記をなにげなく読んだ。簡単なものだが、その日の調子、天気、何を食べたかなどが書いてあった。だいたい毎日つけていたが、初めて精神科に行った日から、パタリと途絶えていた。
やはり、前から認知症があったわけではない、薬のせいだ、と確信した。一方で、母はこのままずーっとこの状態なのだろうか?と不安にもなった。