施設から出て駅に向かったものの、全ての電車が止まっており、運転再開もいつになるかわからないのです。
その駅は駅前にお店が何もなかったので、動いていた市バスで私鉄の駅に行きました。アコーディオンのカメさんと、イベント会社の女性も一緒です。
ようやく自宅と電話がつながり、家族は無事でいることがわかりました。
しかしながら、私鉄の方も全く動く気配はなく、公衆電話やタクシーには長い列ができていました。
今日は帰れないかもと思い始め、駅ビルの飲食店で早めの夕食をとり、レンタカーに一塁の望みをかけました。いくつかのレンタカーを当たりましたが既に予約でいっぱい、乗り捨ても不可です。
またスゴスゴと駅前に戻って、しかたなくタクシー待ちの行列に加わりましたが、三百人ほどの列に対して、30分に一台来るか来ないか。それに北風がだいぶ冷たくなってきました。
私たちは観念して、その日演奏をした施設に向かいました。電話が通じないので、門前払いされたらいよいよ路頭に迷います。
30分ほど歩いて着きますと、果たして、職員の方は温かく迎え入れてくれました。すぐに部屋と毛布を用意してくれたのです。その日は施設内の対応で疲れていたでしょうに、嫌な顔一つせずに。
帰れない職員も泊まっているので、あまり空いてないといいながら、体験ルームというベッド、シャワー、暖房、テレビつきのホテルのような部屋を貸してくれました。ベッドは一つでしたが、毛布を数枚重ねれば十分で、シャワーまで使えて、本当にありがたかったです。幸運でした。
テレビでは震災のニュースをずっとやっていて、あまりの被害に言葉を失いました。
その内に仙台の母も無事だというメールが来ました。ほっと一息です。
翌朝には私鉄が動いていましたので、私鉄を乗り継いで何とか自宅に帰りました。
さあ、あと一時間で卒園式です。