町田の近くに住んでいたのは、今から十数年前になります。知り合いのつてでボロボロの一軒家で一人暮らしをしていました。その頃は一筋縄では行かない人間関係に巻き込まれていて、良い思い出ばかりではないのですが、今思うと面白いこともたくさんありました。
バブル経済の恩恵を受けて、勤め先の大学の時給も破格に高く、しかも家賃は知り合い特別価格だったために、週2日の働きで十分暮らしていけました。特に贅沢もせず、ひっそりと暮らしていたので、その頃問題を起こした新興宗教の信徒ではないかと近所に聞きこみがあったそうです。
ソローの「森の生活」に感銘し、自給自足にあこがれて市民農園を借り、野菜を作りました。ミニトマトにゴーヤ、枝豆や落花生、ルッコラなんかも作りました。ルッコラはたくさんできるので、知り合いのレストランにあげたり、おひたしにして食べたりしていました。ただ無農薬・無除草剤で行こうとしたため、夏の終わりには私の畑だけ草ぼうぼうになり、雑草畑のようでした。
辰巳芳子さんの本に出会い、保存食作りにもはまりました。梅干しを漬ける赤シソは畑で作ります。おひさまの下で梅干しを干すのは何ともいえず幸せな時間でした。ラッキョウ、味噌や豆腐、それに納豆なんかも手作りしてみました。季節にはゆずのママレードや紅玉のジェリーを作って友達に分けていました。
たまには音楽の仕事もあって、気が向くと練習したり、曲を作ったり、仙人のような生活でしたね。
週末に町田の(今はなき)東急前広場でアコーディオンを弾いていたのもこの頃です。私のつたないアコーディオンにお金を払ってくれたり、コーヒーをおごってくれたり、ホームレスからリクエストを受けたり。半日弾いていると、2,3日分の夕飯代位にはなったものです。
こうして書いていると気づきます。このウツウツとしながらも超マイペースだった時代、それは音大出身のオジョウチャンだった私が、何か自分と社会との関わりを模索して脱皮しようとしていた蛹の時期だったのではないかと。食べ物や音楽に対する考え方はこの頃に築かれた土台の上に、今あるような気がします。
当時住んでいたボロ家はどうなったかと、先日見に行ってみましたら、その区画だけきれいさっぱりさら地になって、駐車場になっていました。なんだかせいせいしました。